どんなに苦しくてもやり続けること

これはおかしな会社勤めではなく、強制的な理不尽に従うことを意味しているのでもないのだけど、自分がしたい、やりたいと思った(ちゃんとした事に限る)はやり続けることで、無理やりにでも意味があるという事。

一人は和の先生、一人は英語の先生が言っていました。

 

人間は可能な限り怠けられるし、時間は無限だと勘違いしてしまうけど、

こういうお話は本当にしみじみと心に染み入って、はっとしたりほっとしたり。

 

こういうコロナ禍は厳しくて難しくて、去年、その前の人生で普通にできていたことができなくなる苦しさでうだうだゆらゆらとぐんにゃりしてしまう。

 

土曜日の語学学校後のランチ、たまに会う友人とのご飯、行きたい美術展、旅行。

あまりに制約が多いし、我慢する人は我慢するのに、我慢しない人もいて、それにストレスを感じる日日。

 

仕方ないとして、時が過ぎるのを待つしかない。

ひとはこれまで我がまま過ぎた。

これでもよいくらいなのかもしれない。

 

私は私のしっかりした道の歩き方をしていれば、よいのだと気づかされた昨日でした。

 

人との出会いと言葉はあるのだなあと思いました。

 

人生って不思議。