サクラは神が降り立つ
五月女は神事
さ は稲作の神さま
しゃがむは さ拝む
酒や肴
などなど言われているけど、個人的な感覚としては
さ は空気、風ではないかと思う。
見えないけど、確かに感じるもの
そこにある手応えを、人々は さ としたのではと。
さ は軽く穏やかだが
け はさらに凝縮した 気配。
気、毛、ケ(ハレとケ)
強く意思を持っている何か。
日本は元々文字を持たない集まりだった。恐らく、共通の印、簡単な記号は存在しただろう。
しかし体系的に広く通ずる文字は持たなかった。
何故か。
自然崇拝を基に生きる人々だったからではないか。
文字は文明、人を発達せしめる道具だ。
しかし自然の影響を濃く受ける日本は、抗えない力に対して、凪ぐように生きるしかない。
確固たる主体性を持ち得ない。
主は自然であり、地震であり、火山であり、台風であり、四季の息を飲む美しさだから
寄り添い、合わせる。それが日本に生きた、生きる人達の世界なんじゃないかなと。
世界は今、ヒトの力が強すぎて追い付けない程の発達に皆翻弄されてる。
足が掬われて、気づいたときには大切な足元が無くなり、糸が切れていたなんて事にならないか、不安になる。
古いものすべてが良いとは限らない。
変わって行くのが伝統だし、それは知識とは話さなければならないけど
何万年に渡る先祖が感じていた感覚は
手放さない方がよい気がする。
何か今後に繋げていける事はないか。
手探りでも。