属さぬ女

中学校の時、古典の授業でしょう衝撃を受けたのは、まず私の名前が 正しくはない、本流ではない、と言う意味だったこと。

これには相当驚いて、何回も何回も調べたけど、調べたところで意味は変わらない。

加えてうちの家は、通常の過程とはずれていた。ロックがかかり、MTVを観、お花見の存在も知らず、七五三もしない。初詣にも行かなければ、盆おどりも行かない。
ある意味西洋に被れた家だった。

テレビも制限され、邦楽も俳優も知らない。

父は沖縄から来て、祖父はアメリカから来て、左利きであり、文化も知らない。


日本で生まれ育ち、自分が先祖代々日本人だと思う人は、何かしら祖母や祖父からの文化を受け継いでいるものだと思いしったのは、去年からの日本文化のお教室です。

先生は受け継いだものを思い出す、根付かせる事を大事にするのだが、私にはそれが一切ないのです。

挙げ句に、左利き。
これ日本の伝統文化の中ではかなり致命的。
書道も茶道もおよそ伝統と名のつく全てのものは右手重視。
重視どころか当たり前。

この21世紀でまだ左利きは劣勢で、右利きに準じなければならない。

私は傍観者として、観察者として、分析者として、本流を眺めるしかない。

反対に、流れの中にいる人たちには見えないものも、見える。

やればやるほど、見えない壁に弾かれるのですが、たまには異端のものがいるのも、良い刺激ですよ、と勝手に思います。