EARLY 80's 外人ハウス

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後ろ向きが私。
抱き上げてるのが父。
 
都内のとある外人ハウスが密集しているところに、子供時代すんでいました。
 
戸建てで、わりあい広くて、まわりものん気な感じがただよってて。
 
玄関に入る前に、外玄関みたいのがありましたね。
ジープは父の知り合いの人のものです。
よく姉二人とトランシーバーをつかってジープの中、家の外で遊んでました。
 
子供が多かったなあ。
タイル職人の家が多くて、きれいなタイルをどれだけ集めるかが流行ってました。
ピアノの先生や、アメリカの牧師の家族、絵本の作家の人とか、いろんな人がいました。
 
子供達もかわった名前の子がおおくて、今でもあまり聞かない名前ばかり。
でもすてきな名前の子が多かったです。
外人がいなくなったあとの廃墟があったり、道路が舗装されてなかったり、夜集まって花火をしたり。
 
懐かしい思い出ばかりです。
あそこで育ってよかったなあと思います。
といっても4歳までですが。
私にとってはそこが“フツウ”の世界だったので、こっちに住んでからの一般的な家が立ち並ぶのをみたときは衝撃でした。
景色がまるで違うので。
とにかく、庭が広かった。
どの家も青々とした芝生があって、なぜか小さな飛行機を飾っている家もありました。
あれ、本当に飛べるやつだったんじゃないかと思う。
 
ちなみにきぐるみきてこっちむいてるのは私。
幼稚園がキリスト系だったので、学芸会はイエス様がお生まれになった・・・的なことをします。
当然、一番人気はマリアさま。主役ですから。
次が天使、羊飼い、商人・・・などなどと続くのですが、自動的に身長の低い3人は羊に決定してしまいます。
羊が一番小さいので、着れる人がいないのです。
姉が天使をやっていたので、私も天使が!
と思ったのですが、早生まれだったもので羊に内定いたしました。
ばっちりカメラ目線。呼ばれたのかな。
羊なのに髪の毛でてるし。
なので、今も羊にはなんとなく親近感がわきます。きぐるみの方ね。
 
現在住んでいるところと家が近いので、時々見に行ったりするけど、外人ハウスはもう10%も残ってない。
ぼろかったからねー。当時も。
台風くると、窓のサンから水が入ってくる!!
お風呂とトイレは同じ部屋の中にあるし、ガラーンとしてるので夜は怖かったし。
 
でも、出かけた日に夜、基地の前を通って帰ってくると、星みたいにキラキラと青とか赤、白の飛行機着陸灯が光っていたのは忘れられません。
キレイだったなー。
大人になって住んでたら、相当怖かったと思います。あの家。
懐かしい陽だまりのような思い出ですな。